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【12】さようなら、関西線103系。

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写真: 【12】さようなら、関西線103系。

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どうやら大和路線(関西本線)のウグイス色の103系に引退の時が訪れたとの知らせ。
最後の夜になりそうな今夜は仕事帰りに遠回りしてJR難波発王寺行き各駅停車に乗りゆっくり時間をかけて帰宅しました。

この線沿線で生まれ育ち、一番身近な電車がこのきみどり色の103系でした。
当線の103系は全て他線からの転属、つまり中古車。
よって生え抜きは皆無、冷房車も少なかった当時両親は「ここの電車は環状線とか東京のお下がり」とよく言っていました。
その分、様々な経歴を経て集まったおかげでかなりバラエティー豊かな顔ぶれが揃っていました。
黄帯、緑一色、阪和の青色、低運、高運、クモハ編成、101系編入や先頭車改造車、簡易クーラー、延命更新車…
物心ついた頃から見続けていた電車。
どこへ行くのも、どこから帰るのもいつもこの電車。
進学し、卒業やがて社会人になって通勤の足となっても、引っ越してからもなお、地元の電車は変わらず103系でした。
この間およそ30年余りずっと変わらぬ姿で河内平野を、阪奈県境の渓谷を、そして奈良盆地をモーター音を唸らせて駆け抜けて来た103系。あれだけいた仲間も近年は段々と数を減らし三編成となってしばらく活躍を続けてきましたが、今やわずか一編成となりいよいよ勇退の日を迎えたのでした。
それは時代の流れからするといささか遅過ぎたお別れかもしれません。
私事ですが、新生活のため関西本線沿線を離れ、私鉄沿線へ生活基盤を移すことになった折、幼少の頃から慣れ親しんだ電車が去って行くのは感慨深く思うものです。
103系がかつて先輩101系から受け継いだウグイス色は、明日からは201系に託されていくことでしょう。

写真は1999年11月、かつての地元・平野駅にて撮影。
この頃関西本線の通勤型電車は全て103系、早朝深夜に一部221系が充当される以外は各駅停車もほぼ103系でした。
何の変哲もないただの駅撮り、フィルムを辿ってみるとたしかこの夕方にお座敷列車「あすか」の運行があり、平野停車を狙って行ったついでの撮影だったようです。
前述したように様々なスタイルがいた関西本線、他線からの高運車の転入や、所属車両の大規模な更新改造が始まって来ていたので当然そういった新しめの車両が残ると思いきや、結局この低運新製冷房車が有終の美を飾ることになろうとは、この時は夢にも思いませんでした。
既にこの頃東京から撤退を始めていた103系。あれから15年以上も頑張り続けたのですから大したものです。

DATA:ASA400,35〜70mm,F=AUTO

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