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【09】さよなら「あすか」

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写真: 【09】さよなら「あすか」

写真: 【08】環状線に真っ赤な珍客! 写真: 【10】夏の朝練・ボンネット「びわこライナー」。

今夜JR西日本に唯一残存するお座敷客車列車「あすか」が廃車回送されたとのこと。
残念ながらその最後の走りは見ることは叶いませんでしたが、かつてこの「あすか」が現役の際にはベースとしていた大阪を中心にさまざまな線区でその姿を見かけたものです。
1986年、国鉄最後の冬に不遇にも転落事故になった「みやび」の代替として1987年華々しくデビュー。
先輩譲りの和風内装に加えパノラマ調展望車の独特のスタイルは後の金沢支社「わくわく団らん」や「ムーンライト九州」などに運用された14系リゾート車にも影響を与え、新生JR西日本のイメージリーダーとしての役割も課された時期もありました。
活躍機会の多かった反面、「サロンカーなにわ」程の格が与えられなかったのか私が撮り鉄を始めたころは希少価値に乏しく、特に東海道・山陽筋や阪和・紀勢線では「あすか」はどちらかと言うとジョイフルトレイン狙いの通称「ネタ鉄」と呼ばれる好事家たちからはハズレ役扱いでした。
私にとっては地元関西本線を走る数少ないジョイフルトレインと言うこともあり、同じ宮原所属の和風客車「いきいきサロンきのくに」と並び最も親しみある客車で、祖母が駅長主催旅行で平野駅から乗って行くのをよく送り迎えしたものでした。

全国的に客車列車が減少していく中でも活躍が期待された方の存在だったことは確かで、1996年に電車のN40延命工事に相当する車体更新が施行され、張り上げ屋根の流麗な姿で21世紀に入ってもなお活躍は続きました。
ある時は山口線に遠征しC57との蒸機コラボを見せてくれたり、東海道筋の機関車列車が事実上設定出来なくなる間際にも、「コミケットトレイン」の最終運用として今はなき下関のEF66ブルートレイン機に牽かれ東京入りしたりとまだまだ安泰…と思われた矢先の2010年の2月、「あすか」のその後の運命を決定付ける事件が起きてしまいます。

この日久方ぶりに関西本線・天王寺〜奈良間を走行することになった「あすか」でしたが、その撮影に現れた一部の撮影者が立入禁止の線路敷に侵入、前走電車を止めてしまい警察沙汰になるトラブルを招いてしまいました。
当日は生まれ育った地元・関西本線平野にて常識的な撮影をしていたものですが、いつまで経っても動き出さない「あすか」、そして運休になる快速・普通電車の状況に狂気的な事件を感じた次第でした。
その直後の草津線の運転においても沿線侵入トラブルに見舞われ、哀れ「あすか」は疫病神扱いとされたのか同年のこの運転を最後にお客さんを乗せて走ることはその後二度となく、乗務員訓練で深夜早朝に走ったり、あるいは車両基地で展示のために回送される程度しか動かず、いつしか幻の列車になってしまっていました。

気が付けば同僚の「サロンカーなにわ」が大活躍するのを横目に宮原で不遇をかこつこと6年、ついに再び営業運転の日を迎えることなく引退となってしまい残念でなりません。
もし、あの日、関西本線沿線に集った好事家たち一人ひとりが常識的なふるまいをしていたら、また状況は変わっていたかも知れない…と言っても今更遅いですね。

さて、この写真は一眼レフを始めて間もない頃の1998年秋、東淀川駅の改札横通路から撮影したものです。
この頃この場所からは毎週のようにジョイフルトレインの姿を撮ることが出来ました。
駅の吹田側の踏切でも何度カメラを構えたことでしょう。
自分の撮り鉄の原点とも言えるこの場所、もう15年以上訪れていませんが、ここも先ごろ東淀川駅のバリアフリーと開かずの踏切対策に伴い駅舎改築と踏切の廃止が発表されました。
もうこの場所から「あすか」を撮ることも二度と叶いません。

時代の流れを感じるとともに自分の趣味の原点までもが消えていく悲しさを感じています。
よく見ればシャッタースピードが遅かったのか先頭の機関車が被写体ブレしていますが、当時の未熟な腕前ゆえお見苦しい点は何卒ご容赦ください。

DATA:ASA400,70-210mm,1/250,F=AUTO

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