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11.02.14.水戸殿上屋敷跡(文京区小石川)小石川後楽園

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写真: 11.02.14.水戸殿上屋敷跡(文京区小石川)小石川後楽園

写真: 水戸殿上屋敷跡(文京区小石川)砲兵工廠付近地図 写真: 水戸殿上屋敷跡(文京区小石川)小石川後楽園

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クイズ番組などの大流行で世の中へ幾分か訂正されたけど。「副将軍」て役職が存在すると思われている…。

投稿日時:2011年02月22日 16:36



https://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=1006842642&owner_id=32815602
中納言は太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当。↓

投稿日時:2011年02月22日 16:36


2011年04月11日 00:24
唐名は黄門侍郎(または黄門)、龍作など。
天武天皇の治世下に「納言」という官職が存在している。
飛鳥浄御原令の下でも「中納言」という名称の官職が設置されている。これが後世の中納言と同じものであるかどうかは断言できない。
この中納言は大宝元(701)年3月の大宝令の施行とともに廃止されている。
慶雲2(705)年4月、大納言の不足を補うものとして新たに中納言が設置される。
天平宝字5(761)年、権官(権中納言)が置かれるようになり、定員は有名無実に(この時代は3名)。
権官(ごんかん)は朝廷の官職について、正規の員数を越えて任命する官職。「定員外の官人」の意味。
その後、平安時代以降は、貴族人口の増加で官位・役職は飽和状態となる。それでも昇進を求める貴族らが後を絶たないため、権官が溢れていく。同等の権力を有していたり、名目名だけであったり……権力争い、派閥、政敵。定員外の権官として官職を授けざるを得なかっただけに、その席はそれらに占められていた。
醜いね。現代と変わらない┐(-_-Ξ-_-)┌

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