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11.03.24.吉良上野介上屋敷跡(墨田区両国3丁目)

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写真: 11.03.24.吉良上野介上屋敷跡(墨田区両国3丁目)

写真: 11.03.24.本所回向院(両国回向院。墨田区) 写真: 05.04.06.吉良上野介上屋敷跡(墨田区両国3丁目)吉良義央首洗い井戸

mixiコメント 2013年08月14日 23:13
●土屋平八郎――
遠江国3000石、寄合旗本。
土屋家宗家。開幕初期は大名家。


◎土屋逵直(みちなお)――
万治2(1659)年生まれ。
享保15年8月3日(1730年9月14日))
上総国久留里藩 土屋直樹嫡男。室は甲斐庄正親娘。
土屋本家4代。3代で藩はお取り潰し。旗本として家名は存続。

元禄14(1701)年8月、土屋邸の隣に、先に殿中で浅野内匠頭長矩に刃傷に及ばれた前高家肝煎 吉良上野介義央が引っ越してきた。吉良家の屋敷替えには通説以外に様々な憶測と創作が存在している。
元禄15(1703)年12月14日の早暁、赤穂浪士による吉良邸討ち入りが始まると、逵直は浪士たちからの申し状を聞き入れ、吉良家には加勢しないことを約束。逆に塀に沿って灯りを掲げ、その下には射手を侍らせ、堀を越えてくる者があれば誰であろうとも射て落とせと命じている(新井白石が逵直から聴取した話を、室鳩巣が書き綴った“鳩巣小説”に拠る)。


※土屋采女正――http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=1673655734&owner_id=32815602





アップ時コメント(°ω°)
京葉道路から南、このブロック、東半分が本多内蔵助上屋敷跡、西半分が土屋家屋敷。
この南側のブロックが町屋。松坂町一丁目・二丁目。
この道の西、交差点左手に裏門跡、東側の交差点(丁字路)右手に正門跡が現在はあるらしい。

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