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祥雲寺(広尾5丁目)岡本玄冶墓

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写真: 祥雲寺(広尾5丁目)岡本玄冶墓

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mixiコピペ――
岡本玄冶――
げんや。
江戸時代前期の医家。初名は宗什、のち諸品と改める。玄冶は通称。
天正15(1587)年京都生まれ。
16歳の時、曲直瀬玄朔(まなせげんさく。道三)の門に入って医学を学び、玄朔門下第一の高弟と称された。のちに学塾の長となり門弟の指導も務めている。
慶長年間(1596〜1615)、伏見城で徳川家康に拝謁。
元和4(1618)年、法眼に叙せられる。
元和9(1623)年、秀忠に召されてその侍医となる。隔年で京都と江戸を往復していたが、新和泉町(日本橋人形町)に屋敷を拝領し定住する。
寛永5(1628)年、法印に叙せられる。啓通院の称号を賜った。
寛永10・14年には家光の病を直し(先は天然痘)、1000石の領地を賜る。
幕末に作成された歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」に登場する「源氏店」は、玄冶店が舞台。

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